消えたくて死にたくて、自分には価値がないと思う君へ本当に知って欲しいこと。

f:id:yes_bocchi:20171015124306p:plain死にたくて消えたかった青春時代

どうか、私自身のことを聞いてもらえるだろうか。

 

 

私は、10代後半に私は兄から虐待を受けていた。

母をはじめ、家族はそれを黙認していて、

家族を愛していた私にとって、

そのことは心が悲鳴をあげるには十分な理由だった。

 

ちょうどその頃から、

両親が離婚したんだけど、

兄からの虐待が耐えられず、

やっとの思いで母に頼み込み、父の家へ逃げ込んだら、

最後の頼みの綱だった父が、ある日突然を家に入れることを拒否したんだ。

 

 

その時だ。

 

これまで張り詰めていた糸が切れ、

私のこれまで愛していたものは全てが崩壊したのは。

 

それで、当時住んでいた団地から飛び降りしようとした。

正直に言うと、私が今生きているのは、臆病な自分のおかげだ。

 

 

小学生の頃から、母や友達との関係もうまく築けず、

10代の初めに、摂食障害になるほどだった。

 

 

家にも学校にも居場所を感じられず、

ひとりぼっちの寂しさを募らせていった結果、

私が最後にたどり着いた居場所は、水商売だった。

 

 

親にバレて一度やめたんだけど、

それでも誰かに必要とされていると思いたくて、

今度は風⭐︎俗で働き始め、お金もたくさん稼いだ。

 

 

お金を得ることよりも、

自分の体を差し出せば、男の人が喜んでくれることを知った。

消えたい衝動を押し殺すために、出会い系にも手を出して

益々簡単に自分の体を差し出すようになった。

 

 

 

 

 

 

 

そんな私自身のことをずっと、

 

  • 自分なんて価値がない と心底信じていた。
  • 自分のことをゴミ だと心底信じていた。
  • 自分なんか誰も必要となんてしやしない って心底信じてし、
  • 自分なんかなんて価値がないに決まっている って心底信じていたし、
  • 自分が悪いからこんな目にあうんだ って心底信じていたし、
  • 自分なんかいなくなった方がみんなのためで、誰も悲しまない って心底信じてたし、
  • だからどこかで自分がどれだけ自暴自棄になろうが、私の勝手でしょって信じてたんだ。

 

 

そう思っていたから、

 

 

誰かに

 

「君には価値がある」

「君は生きているだけで素晴らしい」

「君はそのままでいい」

 「自分を愛することは大切だ」

「明けない夜はない」

 

 

なんて言われても信じられるはずがなかった。

それをわかるように教えてくれる人に出会うこともなかった。 

 

 

だから、そんなポジティブな言葉を耳にするたびに

そう思えない自分が否定されている気分になり、

苦しくなることしかできなかった。

 

 

だから、

 

もしも君が私と同じように苦しんでいるのだとしたら、

 

今の君にどんな言葉が必要かわかる。

 

 

だから、

私の思いを全身全霊込めた、ラブレターを書いた。

 

 

どうか、読んでもらえたら嬉しい。

 

 

 

 私がここまで生きてこれたたった一つの理由。

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過去の私は、

「どうして自分だけこんなに苦しい思いをしなければいけないのだろう?」

と思っていた。

 

今なら分かる。

 

どうして自分だけ苦しい思いをしなければいけなかったのか。

 

そして、

 

どうして自分は死にたくて、消えたくて、価値がないと思っていたのか。

 

 

それは・・・

 

 

「自分が悪い」と信じていたからだ。

 

 

 

そしてさらに

 

「自分が悪いと思ってはいけない」

 

と自分を責めていたからだ。 

 

 

 

でも、そうやって「自分は悪い」

 

と思い込むことでしか生きてこれなかったんだ。

 

 

 

 

ひとりぼっちだったから、

 

信頼できる大人や友達なんているはずがなくて、

「自分が悪い」と自分を責め、

「自分は一人ぼっちだ」「自分には価値がない」 

 

とそう信じることでしか、生きる方法を知らなかったんだ。

 

そして

 

そうしなければ、生きてこうして君に

言葉を届けることはできなかったんだ。

 

 

 つまり、ある意味で、

 

「自分が悪い」と

自分を責める苦しみを選ぶことが赦されたおかげで

私は過去を生き延びることができたんだ。

 

 

 

 

 

私と君のこれからの時代を生き抜く力について

 

ということは、 

 

見方を変えると、

 

私がここまで生きてこれた 、たった一つの理由は、

「自分が悪い」と「自分で自分を責める」ことができたからなんだ。

 

 

 

 

 

 

それが何を意味するかというと、

 

実は・・・私はある力が飛び抜けていたんだ。

 

 

その力とは

 

  • 「苦しみに耐える力」
  •  「苦しみを背負う力」
  •  「そしてなお生きる力」

 

なんだ。

 

 

 

つまり、

 

私には、、

 

つまり「 生命力  」が与えられていた。

 

 

だから、私は生きてこうやって君と

出会うことができたんだ。

 

 

「生命力」という

無限の可能性を持つ力

を与えられていなければ、

 

私の肉体はこの世からとっくに消え失せていただろう。

 

 

 

 

何が言いたいかというと、

 

 

君もそうなんだよ。

 

 

 

この生きづらい社会を生き抜いてきた君へ 贈る言葉

 「生き辛さ」について本当の話をしよう。

きっとこれまで、

とても私には想像が及ばないほどの

理不尽な苦しみの中を生きてきたんだと思う。

 

とても言葉だけで表現できないほど、

苦しんできたんだと思う。

 

 

 

「 わかるよ 」なんてとても言えない。言いたくない。

 

 

それでも、

 

きっと君も、

 

わたしと同じように

 

自分を責めないと

 

生きてこられなかったんじゃないかと思う。

 

責めずにはいられなかったと思う。

 

 

 

「自分が悪い」と思うことでしか、生きるしかなかったんだと思う。

 

そして、拭えぬ孤独感とともに生きるしかなかったんだと思う。

 

 

だから、

 

 

ここにいたくなくなるし

消えたくなるし

死にたくなると思う。

 

それって本当に本当に、いてもたってもいられなない、

気がおかしくなって当然のことだ。

 

 

でも死ぬことも消えることもできなくて、

 

 

だからたとえば、

 

 

これまでは、

 

リストカットという手段でしか

自分を生かしてあげられなかったかもしれない。

 

薬や他の何かに依存しないと

自分を生かしてあげられなかったかもしれない。

 

いわゆる精神疾患だったり、

あらゆる種類の障害・・

 

 

たとえば

 

  解離性同一性障害

  強迫性障害

  摂食障害

  適応障害

  自傷行為

  双極性障害

  統合失調症

  恐怖症(対人恐怖症・自己視線恐怖症醜形恐怖症 等)

  パーソナリティ障害(人格障害

  パニック障害

  PTSD(「心的外傷後ストレス障害」)

  コミュニケーション障害

  

 

これらの「生き辛さ」を背負わなければ、

自分を生かしてあげられ なかったんだと思う。

 

 

 

 

 

 

じゃあさ、ここで、「生き辛さ」って、なんだと思う?  

 生きづらさってどうして生まれるんだと思う?

 

 

実は、生き辛さの正体とは・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛したいものを愛せなかった悲しみ

 

 

 

なんだよ。

 

 

 

 

それって、

 

つまり、

 

かつて君は、

 

恐れを知らずに、全力でこの世界を愛していた証

 

 

なんだ。

 

 

 

 

 

自己犠牲について、本当の話をしよう。

時に、

 

「生き辛さ」があるのは

自分を犠牲に(自己犠牲)しているからだ。

 

だから自分を犠牲にするのはやめましょう。

 

 

という言い方をする人もいるかもしれないけど、

 

 

私はそうは思わない。

 

 

どうして君は、そんなに生きづらいのか?

 

 

それは、

 

あなたには、

 

本来であれば支えてくれる人が必要だったにもかかわらず、

頼る人がいなかった。

 

 

誰も支えてくれる人がいなかった。

 

 

 

 

だから、あなたは、

 

誰でもない自分自身を頼るしかなかった。

 

 

だから、あなたは、

 

誰でもない自分自身の力を借りるしかなかった。

 

 

だから、かつての君は

 

 

 

 

ある勇気ある選択をしたんだ。

 

 

 

 

かつての君は、

 

 

自分の願いを未来の自分に託すという

勇気ある決断をしたんだよ。

 

 

 

 

 

自分の大切な思いを遂げてほしいという願いを

未来のあなたに託して、

 

 

 

 

かつての君は、「さよなら」を選んだんだ。

 

 

そう。

 

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かつての君は、ある種の死を選んだ。

 

 

世界でたったひとりしかいない、

かけがえのない自分を生かすために。

  

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それを、

 

英雄の死であり、

 

名誉ある死

 

 

と言わずに、なんと言えばいいだろう。

 

 

 

君は、本当の本当に大切なものを守るために、

同じく自分の大切な時間を捧げているんだ。

 

 

確かに、想いが叶わないことは、

無念であることは違いないけれど、

それは、その無念を晴らしていく事ができる。

 

 

 

君は気づいてないかもしれないけど、

 

 

 

 

無意識も含めて、君が守ってきたものは

 

本当に価値があるものだ。

 

 

 この残酷で恐怖に満ち溢れる現実に耐えてまで、守る価値のあるものだ。

 

 

 

それが

 

この世界でたった一人しかいない君の命だ。

 

 

 

君はこれまで、

果敢にその命を守ってきた。

 

 

 

 

 

それが君の本当の姿だ。

君は自己犠牲をしているんじゃない。

可能性無限大な命を守ってるんだ。

 

 

もう誰にも「君は弱い」なんて言わせない。

 

 

 

 私はその君の勇気ある姿に心打たれ、

そんな君に出会えたことを、誇らしくさえ思うんだ。

 

 

 

 

君はすごい。

 

 

本当にすごい。

 

 

 

 

君は本当は・・

 

もう既に、君自身の命の英雄なんだよ。 

 

 

 

 今も、これまでも、これからも、ずっと。

 

 

 

 

 

 

少なくとも私は、

 

君を誇りに思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

何を信じていいかわからない君へ 

これまで、

誰を信じたらいいかわからずに

生きる意味を見失わってきたかもしれない、

 

泣きたくても泣けなかったり、

 

声を押し殺して泣いたり、

 

虚無感に襲われて、消えたいって衝動に駆られたり、

 

 

大好きな人から裏切れて、

もう人を愛するもんかって思ったかもしれないし、

 

 

どうして自分はこんなに傷つきやすいのだろうと、

悲しみに暮れてきたかもしれないし、

 

 

こんなに生き辛いなら 

いっその事早く殺してほしいと思うこともあったかもしれない。

 

 

だから、

 

 

 

 そんな時は、

 

 

君の命の力を信じて欲しい。

 

 

他の何も、信じなくていい。

他の誰も、信じなくていい。

 

 

 

どうか、君だけは君自身の事、味方になってあげて欲しい。

 

少なくとも私は君の事、全力味方でいたいって思ってる。 

 

 

だから、何を信じていいかわからない時や

不安になった時は、

 

自分の心臓の鼓動に、耳を傾けたらいい。

君が全力で守っているものの側にいたらいい。

 

 そして、自分のことを誇らしく思っていいんだよ。

 

 

 

 

 

 今一番君に必要な事について、本当の話をしよう

 

 改めてこれまでをまとめると、

 

君の生きる力はずば抜けているんだ。

 

 

 「苦しみに耐え、今を生き抜く術」と言ってもいい。

 

君のその苦しみに耐える力や術は

 

 

 

この生きづらい世の中を変えていくために、一番必要な力だ。

その力は、間違いなく武器になる。

 

 

そんな力強い武器を持つ君に一つだけお願いがある。

 

 

それが、「知る」こと。

 

 

 私の役目は知らせること。

 

 

 そう。

たとえば、

 

「君は悪くない」

 

ということを知ることだ。

 

 

その「知る」武器を使って、生きやすさを取り戻していくために、

すごく必要なことなんだ。

 

 

 

 

 

まず、

「自分は悪い」と責めることほど自分を傷つけるものはないけれど、

逆に君はそれに耐える力を持っているということ。

 

 

その苦しみを抱えながら、

生き抜くということは、

誰にだって出来ることじゃない。

 

 

 

君じゃなきゃ生きてここまで来れなかった。

 

 

 

だから、まず伝えたいのは、

 

きっと今も苦しさを抱えているにもかかわらず、

 

 

生きてここまでたどり着いてくれて、

本当にありがとう。

 

 

 

こうやって私のメッセージに心を傾けてくれて、本当にありがとう。

 

 

その無価値感や生きづらさが、

君をここまで連れてきてくれた。

 

 

 

 

 

君はこれから、もっと自分の持つ本来の力をを取り戻していけるよ。

 

 

 

 

 

消えたくて死にたくて、自分には価値がないと思う君へ。

まず、私が君に出来ることは、

 

「君は悪くない」んだっていう理由を伝えること。

 

 

 

 

どうして君は悪くないのか。

 

 

 

 

 

どうして君は

 

「自分には自分は価値がない」と思うようになったんだと思う?

 

おそらく、「自分が悪い」と思ってるんじゃないかな。

 

 

実は、

 

 

それは誤解なんだ。

 

 

 

 

なぜ「自分に価値がない」と思うようになってしまったのかというと、 

 

ただ残酷なことに、

 

 

 

君史上最大の「災害」が君に降りかかってしまった

 

 

 

からなんだよ。

 

 

 

 

 

 

災害とは、大震災などの自然災害のことを指す。

 

たとえるなら、地震のようなものだ。

 

地震って、地震予知も開発されてはいるけれど、

 

それでもほぼ突然やってくる。

 

 

台風なら、暴風警報などの情報を事前に手に入れることで、

対策を練ったり、避難することができる。

 

(もちろん、子供の時ほど、台風レベルの出来事でも逃げることができなくても不思議ではない。)

 

 


 

 

けれど、

 

地震となれば、

 

事前に避けることは困難になってくるよね。

 

 

 そう、「不可避」だったんだ。

 

 

たとえるなら、

 

君に起こったのはそういうことなんだ。

 

 

 

 

 

私たちは、地震という災害が起こった時、

その被害をただ受け止めることしかできない

 

 

 

 

 

 

地震という災害が起きるのは、

君のせいだろうか?

 

 

 

 

そんなことはない。

 

 

 

君は悪くないと言ったのはそういう理由なんだ。

 

 

 

もちろん、起きた出来事は変わらない。

 

 

けれど見方は変えられるんだよ。

 

 

この世には、ただ知るだけで変われることも多い。

 

 「知る」というのはそれぐらい凄い力を持っているんだ。

 

 

 

 

「自分が悪い」と思うのは、ちゃんと理由がある。

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じゃあ、どうして「自分は悪い」って思ってしまうのか?

 

 

そして、ここからが大事なんだけど、

 

 

地震であれば、

 

 

目に見える形で、

想像を絶する被害を実感することができるから、

 

 

その災害や被害を受けたのが一人ではないということがわかれば、

 

「 辛い思いをしているのは、自分一人だけではない 」

 

と安心できるし、

 

助けを求めなくても、助けは来るし、

 

避難場所や安全な場所に逃げ、支援を受けることができる。

 

 

 

ところが、

 

 

君や私、人の心の被害(傷)というのは、

自然災害と違って、

残念ながら目に見えない。

 

 

目に見えないから、

自分に何が起こったかを冷静に把握することは困難だし、

 

 

 

いくら助けを待っていても、

向こうから助けは来る可能性は格段に低くなるし、

 

 

逃げるという発想なんて浮かばなくなって当然だし、

 

 

ましてや保護や支援が自分に必要かどうか

なんてことも判断できなくしてしまう。

 

 

 

 

それこそが、「自分が悪い」と思ってしまう理由なんだ。

 

 

 

 

人が無価値感を感じるプロセスについて話をしよう

何かすごく困難な出来事が起こった時、

 

助けを得ることができたり、

十分な保護や支援を受けることができた時、

人は「 自分は大切にされている 」と感じられ、

「 自分には価値がある 」と感じることができる。

 

 

しかし、その大切にされるというプロセスを経ることができないと

 

 

「 自分には価値がない 」と思ってしまうんだ。

 

 

これが君が無価値感を感じるようになってしまった真相なんだ。

 

 

君に本当の姿に最上級の賛辞を送る

きっと、君の心では

神戸大震災や東北大震災、

最近だと熊本地震のような

地震が何度も襲い掛かってきたにもかかわらず、

守ってくれる人に出会えず、

 

 

今まで見えてきた景色はすべて足元から崩れ去っているにもかかわらず、

 もしかしたら津波などの2次災害まで降りかかってきたまま

見るも無残な状態になっているままにされてきたかもしれない。

 

 

 

そんな君に出来ることといえば、

常に余震の不安に怯え、

無力感に打ちひしがれ、

絶望にくれながらも、

ただ現実に耐えることだけだったかもしれない。

 

 

だとすれば、

 

 

私は君に何があったかまだ聞けていないけれど、

君に起こったことが、

 

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あの東北大震災の津波のように、

それがどれほど恐怖に打ちのめされることか、

 

 

あの津波で木っ端微塵に砕け散ったたくさんの建物のように

どれほど心が木っ端微塵に砕け散るかことか、わかる。

 

 

 

 

 

だから、それを今も一人で耐えているこなんて、

 

 

信じられないよ。

アンビリーバボーだ。

 

 

「辛かったね」「よく頑張った」「よく生きてきたね」

なんて言葉じゃ全然気持ちが追いつかない。

本当に、本当に、本当に、追いつかない。

 

一人で解決だなんて、そもそも無理な話だ。

それくらい、君には、あってはならなことが起きてしまった。

 

 

 

 

 

一人で背負わせて、

一人で抱えさせて、

 

本当にごめん。

本当にごめん。

 

 

 

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 「知る」次に君に必要な事について本当の話をしよう。

きっと君は、受け止めてくれる人を探してはいないだろうか?

 

一方で、君は、人前で泣き崩れるということを怖いと思ってはいないだろうか?

 

だから君は

きっと今も、本当は涙をこらえていて、

でも歯を食いしばって、仮面の笑顔をつけて生きてきたんじゃないだろか?

 

 

 

私は、ただ手放しに泣き崩れたり、

脇目も振らず泣きわめくということができるまで10年もかかった。

人前で泣いたらかっこ悪いとか、恥ずかしいとか思っていた。

ただただありのままの自分のまま泣いたら、どうにかなってしまうのではないかと怖かった。

ただ泣くことが怖かった。

 

 

ありのままでいたら、ありのまま泣いたら、捨てられると思っていたから。

 

 

 

でも

心の底では、

立場とか年齢を超えて、ただ無条件に受け止めてくれる

お母さんみたいな人がほしいと思っていた。

 

 

 

だからこそ、私は、

 

「ただ泣きたいのに泣けない」という苦しみを抱えている人の

力になれるのではないかと思ってるんだ。

 

 

そして、これからもっともっと、

 

”同じように苦しんでいるのは、君だけじゃなくて、私や、

みんなも同じで、だから君が泣き崩れた時は、一緒に泣けるし、

時には、支えることだってできる。”

 

って伝えていけるんじゃないかと思ってるんだ。

 

 

 

もしも自分に価値がないと思う君に

「知る」こと以外に必要なことがあるとしたら、

 

 

”ただ泣くことを許してくれる人を探す”ということが必要なんだ。

 

 

 

自分の全身全霊を使って、ただただこの人の側で泣きたいと思える人。

そして最終段階は、その人に助けを求める事。

 

 

そしてまず、

 

知る事がレベル1だとすると、

探す事はレベル20くらいで、

助けを求める事はレベル99

に困難だ。

 

  

という事を知ろう。

レベル99を達成させるためにできる事、知れる事たくさんある。

 

 

 

君は覚えているだろうか。 

 

泣いてばかりだった赤ん坊の頃、

君は、自分の足で立ち上がろうと、

でも最初はうまくできなくて、

何度も転び、泣き、わめき、

 

それでも、

 

あきらめずに、

 

両親や周りの大人に見守られながら、

自分の足で立って、

前に進み、そしていつしか走るということさえできるようになった。

 

ということを。

 

 

 

 

人間って、人の間って書くけど、

本当にその通りで

 

私たちは、

 

見守ってくれる誰かがいるから、

会いたいって思う誰かがいるから、

抱きしめてくれる誰かがいるから、

自分の成長を喜んでくれる誰かがいるから、

愛したい何かがあるから、

 

つまり、

 

絶対にひとりじゃないということを信じられるから、

 

 

何度泣いて転んだって、何度失敗したって、

 

 

だから

 

 

私たちは、

 

 

前を向けるんだ。

 

 

 

 

 

 

一人で泣く必要はなくて、

信頼できる人の元で、

 

泣いて、泣いて、泣いて、いいんだよ。

 

赤ん坊の頃、君はそれができた。

1度できた事は、またできる。 

 

 

だから、ただ泣き喚くということを、理解してくれる人を探していいんだよ。

 

この世界には、 君が堪えていた滝のような涙を受け止めてくれる人がいるんだよ。

 

→君の勇気がミラクルを呼ぶ5セントコインプロジェクト

  ※ 私でよければいつでも力になる。

 

 

 

 

 

これから本当の価値についての話をしよう

そして、もしも、「自分には価値がある」と思わなければいけない

 

と思っているのだとしたら

全くもってそんなことはないんだよ。

 

 

実は、信じられないかもしれないけど、

 

 

「自分には価値がないと思っていてもいいんだ。」

 

 

 

君の本当の価値って、

 

「自分には価値がないんだという君のその思い」に全てつまってるんだ。

 

 

 

 

つまり、

 

本当の本当は、君のその思いこそが、尊いんだよ。

 

 

きっと価値がない自分はダメだって

 

思ってるかもしれないけど、

 

 

 

本当の本当は、どんな思いにも良いとか悪いとかはないんだ。

 

 

 

少なくとも私は、君から生まれ思いに、

 

ただただ尊いものしか感じない。

 

ただただ抱きしめたいほどに。

 

 

 

 

もう一度言うよ。

 

 

 

君の思いは全て尊い

 

 

 

全てだ。

 

 

君の死にたい って思いも

君の消えたい って思いも、

どうせ自分なんか っていう思いも、

みんな死んじゃえばいいのに っていう思いも

いっそ殺して っていう思いも

助けてっていう思いも

 

 

全て。

 

 

 

本当の自己受容の話をしよう

この「自分の思いは全て尊い」という真実を知ることが、

君の価値を生む小さくて大きな大きな無限大へと続く第一歩なんだ。

そしてそれが命の深遠さを知る、入り口なんだよ。

 

 

すでに多くの人が言っているけれど、

まずは、「君はそのままでいい」という自己受容の言葉について。、

 

 

自己受容とは

良いとか悪いとか、

ポジティブやネガティブなジャッジを手放して、

今の状態をただ受け止めるということなんだ。

 

 一言で言うと、「いいんだ」

 

だた、これが頭だけで理解するものではなくて、

 心と腹にも連動させていくことで自己受容は深められていくんだ。

 

 

そしてどうやら

 

”一人ではなかなか理解できない” 

ようになっているみたいなんだ。

 

 

じゃあ、

どうすれば「今の状態をただ受け止める」

という自己受容ができるのかというと、

 

 

 

「想い想われる」という体験をすること

 

が必要なんだ。

 

 

私は、全力で君を想いながらメッセージを打っている。

私の思いは、君に伝わっているだろうか?

 

君に「想われる喜び」を与えているだろうか?

 

  →もっと想いを受け取る (5セントコインプロジェクト)

 

だから、過去に「想い想われる」というのを

実感を伴って体験したことがなければ、

または回数が少なければ少ないほど、

 

「ただ今の状態を受け止める」ということが

できなくても不思議じゃないんだ。

 

 

だから

 

たとえば

 

「そのままの自分に価値がある」

 

 

とかという一般的には良いとされていることが信じられなくても

 

 

君は全く悪くないんだ

 

 

だって本当は、

その君の心のコンパス(信じられない)こそがすばらしい可能性で、

もっと自分の価値を感じたいって思ってるってことだから、それでいいんだよ。

 

 

私は、この「想い想われる」という

実感をなかなか得ることができず、

苦しんできたから

 

 

だから、私のこの想いが君に伝わって、

君の心に「いいんだ」を生めばとても嬉しく思う。

 

 

 

 

 

生きづらいアンバランスなこの現代を生きる君へ

自己価値や自分を愛すること、生きることの素晴らしさを伝えることの罠

自殺は悪いことだと信じられているアンバランスなこの現代は、

自分を愛し、ポジティブでいることが素晴らしく、

 

逆に

 

絶望を感じていたり、

ネガティブなことを表現することは

好まれないと感じる。

 

 

だから

 

 

ネガティブや恐れを手放し、愛を選びましょう(=次元上昇)

 

 

 

という風潮があるのではないのかなと思う。

 

 

確かに言っていることは正しい。

そして悪気もない。 

 

 もちろんそれも愛だ。

 

 

 

ただ私はそこに違和感を感じていて、 

 

 

 

 

時にその風潮は時に

 

自分を愛していない自分はダメだ」とか、

無価値を感じている自分ダメだ」とか、

ネガティブな感情を手放せない自分はダメだ」という

 

思い込みを生んでしまう。

 

「自己価値を感じることはすばらしい」

と愛を持って伝えているはずなのに、

逆に生きづらさを増やしてしまうなんて悲しすぎる。

 

 

だから、

 

ポジティブな面を伝えることだけが、

愛ではないということが、もっと知れ渡ればいいと思う。

 

 

私だったら、

その言葉よりも、「どんな時も側にいるよ」って伝えたい。

 

 →私の思いを受け取る (5セントコインプロジェクト)

 

 

 

そして・・

なぜ善を唱えることが、苦しみを生むのかというと、

もっと根っこの部分を見落としているからだ。

 

 

本当の本当の本当の大切なことを伝え忘れているからだ。

 

 

 

 

私はそれがすごく嫌だから、

だから私は、根っこの部分を伝え続ける。

 

 

 

それが・・・

 

 

それが、それがさっきの

 

 

「全ての思いは尊いという

 ”トゥルーセンテンス”(自己受容を与える真実の言葉) なんだ。

 

 

 

私がどんな思いや信念も尊いと言い切れるのは、

どうしてかというと、

 

それがたとえ殺人鬼を生むものだとしても、

 

全ての人の全ての思いは、

これまで一人一人が現実という名の悲劇や苦しみの海を生き抜いて、

 

「今ここにいる」奇跡の証だから。

 

 

「在ることができる」ということ以上の赦しと愛はない。

 

 

 

話を元に戻して、

何度も繰り返すけど

 

 

 

全ての思いは尊ばれてよくて、 

 

あえて言うと、

むしろもっと尊ばれる必要があると信じている。

 

 

 

本当は「こうしなければいけいない

というものはこの世には存在しないけど、

 

 

世界で一つだけ

こうしなければならない」というものがあるとしたら、

私は尊ぶことを選びたい。

 

 

 

 

なぜなら、それがこの世の真実(本当)だからだ。

 

この世の全て存在は尊ばれることによってそれを存在を可能にする。

そういう風にできている。

 

 

そして、尊ばれたら、ネガティブな思いは勝手に離れていくようになっている。

手放そう、許そう、なんて力んだことをする必要なんてないんだ。

 

 

「尊ぶ」という価値が広まって、

 そうして、誰もが生きやすい社会になっていけばいい。

 

 

 

想いを言葉にすることの難しさ

ここで一つ大切なことを付け加えると、

 ここに書いてあることはすべてそうだけど、

 

あくまで私の価値観(世界観)で、

あなたや誰かの価値観(世界観)と違っていて当然なんだ。

あなたや誰かに押し付けようとは思わない。

 

私は言葉で傷ついてきたから、

言葉で大切な人を守りたいと思って、

こうやってメッセージを発信し続けている。

 

けれど、悲しい事に

万人に有効な言葉なんて存在しないから、

時には守りたい誰かさえ、

傷つけたり、誤解されたりすることも珍しくない。

 

 

 

そして、誰か全力を守るとき、きっと誰かを敵にしている。

 

 

それでもいいという覚悟で私はメッセージを伝えてる。

それがあなたに全力で寄り添うために必要だと思っているから。

 

 

何が言いたいのかというと、

 

もしも傷ついたと感じたら、どうか諦めずに

「傷ついた」と食らいついてきてほしい。

そこに本当の癒しつながりが生まれるから。

 

 

 

 

 

 

 

尊ぶとは何か

ところで、そもそも、尊ぶってなんだと思う?

 

価値あるものとして重んじる。大切にされること。

 

実は、尊ぶことから、価値が生まれるんだ。

 

 

 

だから、 

君には価値があるっていう言葉を私なり言え換えるなら、

 

「君の全ての思いは尊い」って信じているんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分には価値がないと思う君に、本当に知ってほしいこと

 

先ほど、私たちが「自分が悪い」と思ってしまうのは、

私たちにある日突然降りかかった残酷な出来事による心の傷が、

目に見えないからだと言ったね。

 

 

 

たとえば

精神疾患が長引くのは、

 

心の傷が目に見にえないというハンデがあることが、

理由だと思っていて、

 

 

 

「自分が悪いからだ」

「自分はひとりぼっちだ」

「自分だけが」

 

 

 

と思うとき、

誰もが、どうしたらいいかわからなくなるものなんだ。

 

 

そして、「自分は悪い」という罪悪感は、

 

誰もが、誰かに助けを求める勇気を奪ってしまうものなんだ。

 

 

そして、「自分はひとりぼっちだ」とか「自分だけが」

という孤独や恐怖によって、

 

誰もが、力を奪われる。

 

 

 

 

 

 

そして、誰もが

 

その時感じるものは、

 

「自分には価値がない」という無力感。

 

 

 

そうすると、

 

誰もが、

 

本来持っていた自らの光を見失い、

闇の中に迷い込んでしまう。

 

 

そうすると、

 

誰もが、

 

ますます、

 

助けを求めたり誰かに心を開くことが困難になる。

 

 

 

これらのことは、

 

「自分だけが」と思う時、

 

本当に絶望に値するけれど、

 

 

自分だけでなく、「誰もが」ということを知った時、

 

その絶望は、希望に変わる。

 

 

 

 

 

やっぱり希望と絶望はカミヒトエである

つまり、何を言いたいかというと、

 

自然災害と違って、

心による傷が見えないばっかりに、

 

「自分が悪い」って苦しんでいる人は、たくさんいるんだ。

 

そして、「自分が悪い」と思うことはちっとも恥ずかしいことじゃない

 

 

そう思っているのは君だけじゃないんだよ。

 

 

 

そう、

 

同じように苦しんでいるのは、君だけじゃないんだ。

もちろん、私も長い間そうだった。

 

 

 

 

 

もう一度言うよ。

 

 

 

同じように苦しんでいるのは、君だけじゃない。

 

 

 

 

それって、何だかすごく

 

 

 

安心しないかい?

 

 

 

 そう。

 

 

実は、

 

人は、安心を感じた時、

心にあたたかさを感じた時、

勝手に本来の力を取り戻す。 

 

 

 

そして、

そのあたたかさや安心感は、

たとえ今ひとりぼっちでいたとしても、

 

 

「本当は自分はひとりじゃないんだ」

っていうことのなのよりの証なんだよ。 

 

 

 

 

これから本当の希望について話をしよう

私は、ずっとひとりぼっちだと思ってきたから、 

そんな私にとっての最後の希望は、

 

 

「 君はひとりじゃない 」という言葉だった。

 

 

ひとりぼっちだと思っていた時、

 

「 君はひとりじゃない 」と

 

自分を想ってくれる人がきっといる。と

 

希望を持つことで、

 

絶望の淵にいても耐えることができた。

 

 

 

しかし、その希望を持ち続けることは時に困難だった。

 

 

なぜなら・・・

 

 

私のいたその場所が、

とても、

 

決してあたたかくはなかったからだ。

 

 

まるで氷の上にひとりぼっちでいるみたいに、

冷たかったからだ。

 

 

 

 

だから、

どれだけ「君は一人じゃない」って励ましの言葉を聞いたって、

 

 

やっぱりどこかで

こんなに辛い思いをしているのは、

こんなに孤独を感じているのは、

「自分は一人だけだ」と思っていたんだよ。

 

 

それって本当に、本当に苦しい。

 

 

 

 

 

だから私はもっと具体的に、

 

「 その孤独を感じているのは君だけじゃない 」

 

と伝えたい。 

 

 

 

 

君はそこに、

 

希望を感じるだろうか?

 

 

 君の心の中に、

 

あたたかさやぬくもりは生まれるだろうか?

 

 

 

 

もしくは、何か他のあたたかさを感じる希望はあるだろうか?

 

 

 

 

 

それとも・・

 

 

希望を持つことなんてなんてもうとっくに諦めただろうか?

 

希望なんて綺麗事、遠いどこかへ置いてきてしまっただろうか? 

 

 

人の持つぬくもり与えるあたたかさなんて、

とっくの昔に忘れてきただろうか?

 

 

ぬくもりが持つあたたかさなんて、くだらないと思うだろうか?

 

 

 

それでもいい。

 

 

全然いい。 

 

 

 

なぜなら、 

 

 

実は、

 

 

希望というのは、あたたさやぬくもりが

あって初めて灯しづづけられるものなんだ。

 

 

 

人は

 

誰もが、

 

 

あたたかさやぬくもりを失った時、

希望を失わずにはいられない。

 

 

人は誰もが、

 

あたたかさやぬくもりを失い、

自分はひとりだと絶望した時、

 

 

 

希望を捨てずにはいられなくなる。

 

 

そういう生き物なんだ。

 

 

 

だから、

 

ぬくもりを失ってしまう出来事が

君に降りかかってしまっていたのなら、

 

希望を持つことを諦めてしまっても不思議じゃないんだ。

 

そして、希望の代わりに絶望が息づいて、希望なんて下らないと思っていても、不思議じゃないんだ。 

 

 

 

 

「 どんな時も希望を持とう 」

 

 

そう言うことは簡単だ。

 

 

そう言える人は、

おそらく、あたたかさや安心感を失ったことがない人だ。

 

 

ただ、「この世には、希望を捨てねば生きてこれなかった人がいる」ことを知らないのだ。

 

ただ、「この世には、希望を失わずにはいられないほどの、残酷な出来事が起こりうる」ことを知らないのだ。

 

 

 

人は誰もが、お母さんのお腹の中で、

あたたかさや安心感を感じて生きてきた。

 

 

 

初めから、希望を失いたい人なんていない。

 

そう、いないんだよ

 

 

そして・・

 

初めからあたたかさやぬくもりを持たずに生まれてきた人もいない。

 

そうでなければ生まれてこれないからだ。 

 

 

 

 

 

 

だから、

 

 

 

本当に必要なことは、

 

 

どんな時も希望を持つことを説くことではなく、

 

 

人は誰もが

 

希望を失わずにはいられないことがあって、

 

そんな時、

 

 

希望を失うことや絶望を持って生きることでさえ

許して、その姿を見守る優しさを持てること

 

 

本当のあたたかさであり、

ありのままを愛すという事

ではないかと思う。

 

 

 

そして、

 

 

その人が本来持っていた

光を失わせてしまう正体こそが、

 

 

「孤独」であり、

 

 

それくらい「孤独」というものが、

私たちの力を奪ってしまうものだということを理解することが、

必要なんだと思う。

 

 

 

 

だから私は、

 

 

たとえ、「孤独」を抱えていてもよくて、

そんな時にも生きる術があると示していきたいんだ。

 

たとえどれだけ長い間、

 

絶望を抱え、人生のどん底にいたとしても、

 

全ての人にそこから這い上る力が与えられている。

 

 

ということを伝えていきたいんだ。

 

 

もちろん、君だってもれなく与えられている。

 

 

 

 

その力とは、 

 

「見る」というだ。

 

 

 

 

これから、君に与えられている人類の叡知について話をしよう。

実は、

 

私たちすべての人間には、

 

「知る」ということを

「識る(しる)」という叡智に変える力だけではなく、

 

 

「見る」ということを

「観る」という叡智に変える力が与えられている。

 

 

 

 ちなみに君は今、

 

「知る」というグレイトな力を発揮し、

「識る(しる)」という叡智に向かうプロセスにいる

 

 

そして、

 

 

その「知る」から「識る(しる)」という叡智を手に入れるために

 

必要なのが、「見る」ということなんだ。

 

 

「見る」ということは、目に見えるものを見る力のこと。

 

 

 

さらに、

 

「観る」というのは、目に見えないものを見る力(感じる力)のことだ。

 

 

つまり、「観る」ためには、「見る」ことが必要なんだ。

 

 

 

何を観るために必要なのか?

 

 

 

 それが、

 

「光」

 

 

そう、

 

 ただの光ではなく、

 

闇の中でこそ、輝くことのできる光。

 

 

光というのは、闇の中でこそ、

 

本来の光を発揮するものなんだ。

 

 

 

明るいところで見る光にはない、美しさがそこにはある。

 

 

一度光を失ってしまった私たちは、

 

「 闇の中に新たに光を見出す力 」という

 

とてつもない

 

偉大なる神の力

 

が与えられている。

 

 

 

 

 

光のない絶望の淵で、星を見上げよう

もっともっと、絶望していい。

 

もっともっと、自分や誰かを憎んでいい。

 

もっともっと、自分や誰かを大嫌いになっていい。

 

もっともっと、自分や誰かを裏切っていい。

 

もっともっと、深い闇に落ちていっていい。

 

 

抜け出す必要なんてない。

 

 

 

 

想像してみて。

 

 

もっと、

 

 

落ちて堕ちて墜ちて・・・

 

 

どこまでも堕ちていく。

 

 

 

真っ暗闇の中で、

 

 

あなたはひとりぼっちだ。

 

 

誰もいない空間に、あなたはただ一人でいる。

 

 

そこは宇宙のような場所だ。

 

 

そう、今

 

あなたはただ一人、宇宙に浮かんでいる。

 

 

 

 

 

 

そこから振り返ってみて。そして観るんだ。

 

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無数の星がまたたく美しさを。

 

そして君は目撃者となるんだ。 

 

 

君の本当の姿の、目撃者に。

 

 

 

 確かに、本当の自分の姿は自分では見えない。

 だけど、目の前に見えるものを鏡としてみる事で、

自分の姿を知る事ができる。

 

 

 

実は、あなたも、

この宇宙の闇の中をきらめく星星のように、

 

同じように光輝いている。

 

 

君の命が、輝いている。

 

 

自分からは決して見えないけれど、

あなたが見た星々の光こそが、

あなたが本当にいる場所だ。

 

 

あなたは光であり、そして闇だ。

 

 

そして、

闇のなかで美しく煌めく、星だ。

 

 

 

 想像してみて。

 

 

 あなたの心の内側に、満天の星空が広がっていることを。

 

 

想像してみて。

 

 

満天の星空の中で、あなたの存在そのものが煌めいているところを。

 

 

 

 

想像してみて。

 

君と私やみんなと同じ空間で、

皆が共に光輝いているところを。

 

 

 

 

想像してみて。

 

その輝きが一つとして同じものがない美しさを。

 

 

 

 希望は持たなくていい

本当は希望を持つ必要なんてどこにもないんだ。

輝こうとする必要すらないんだ。

 

だってあなたは本当は宇宙にきらめく星星のように、

 

 

もうとっくにみんなと一緒に輝いている。

 

 

そう。

 

 

君は一人じゃない。

 

 

 

 

 

どんなに隠したって、隠すことのできない光があなたにはある。

世界でたったひとつしかない、光が。

 

 

 

 

 

これまでも、これからも、そして今も。

 

 

 

 

 

ただ本当の事を「知る」だけでいいだ。

 

それが、本当の癒しであり、赦しだ。 

 

 

 

 

これから君の存在についての本当の話をしよう

君が自分の心の中に満天の星空を観る事が出来た時、

 

あなたは、

 

「 君がいる、私がいる、みんながいる 」

 「 わたしは一人じゃない 」

 

ということを感じることができる。

 

 

もし、感じられないのだとしても、

 

「 君は一人じゃない 」という状態が

どういう状態を指しているかが

イメージとして伝わったのではないかと思う。

 

 

 

そして、

 

「 君はひとりじゃない。」

 

 

という言葉の真髄についても、特別に公開しようと思う。

 

 

「 君はひとりじゃない。」

 

 

という事は、 

 

「 君も、ここにいて(Beingで)いいんだよ。」

 

 ※Being=存在

 

ということなんだ。

 

 

 

 

 

 

ここってどこだと思う?

 

 

 

みんながいて、

 

私がいて、

 

君がいる、

 

この地球。

 

 

 

昨日も今日も明後日も、

 

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朝には日が昇ってきて・・・

 

 

 

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夕方には日が沈んで、 

 

 

 

  

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 夜には星が輝く

 

 

 

 

 

 

この地球。 

 

 

 

 

 

  

 

 

 そして、

 

 

私たちの命のもととなる豊かな穀物や・・

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 植物を育み・・

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たとえば裸足で踏みしめれば冷たくて暖かいと感じる・・・

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 「 天 」と、

 

「 大地 」

 

に挟まれた

 

 

「君」がいる、この地球。

 

 

 

 

誰がなんと言おうと、君はここにいていい。

私やみんなとここにいていい。

 

 

 

何ができるとか、何ができないとか、

アレは良くてアレはダメだとか、

そういうの全部どうでもよくて、

 

 

無条件にここにいていいんだ。

 

 

 

もう一度言うよ。

 

 

 

無条件にだ。

 

 

どうしてかというと、

 

 

君の肉体がこの地球にあるからだ。

君のその心臓が、今も動いているからだ。

 

 

 

つまり、

 

もし1つだけ条件があるとしたら、

 

 

君が生きていること。

君の体がそこにあること。

 

 

君は、自分には何もないと思っているかもしれない。

 

けれどそれは本当じゃない。

 

 

君には命がある。

 

 

本当は、君には、

 

「命という無限の可能性のある未来」

 

が与えられている。

 

 

 

生きている、

つまり自分というオンリーワンな肉体を持っている人は

無条件にここにいていい。

 

 

 それが、君が愛されているという証なんだ。

 

 

 

 たとえば君は、さきほどの写真を見て、

 

美しいと感じたと思う。

 

 

 

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たとえば君は、道端にたくましくも可憐に咲く花にさえ、美しいと感じる心を持っているだろう。

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そんな美しい心を持つ君が、

 

 

ここにいてはいけないはずがない。

 

 

 

君は、ここにいていいんだよ。

 

 

もうひとりぼっちでいる必要はないんだよ。

私やみんなと一緒にいていいんだよ。

 

 

だって、君はまだ生きてる。

 

だって、君はまだその世界でたった一つしかない

あなただけの肉体を持ってる。

 

 

 

本当は、

 

君が「今ここにいる」以外に、

 

ミラクルなものなんてないんだ。

 

 

 

 

君のBeing(存在)以外に

 

光輝いているものなんてないんだ。

 

 

 

だから・・・

 

 

だから

 

 「 もう一人は嫌だ 」

 

「みんなとここにいたい」

 

 

と願っていいんだよ。

 

 

 

 

それにね、

もしも君が

 

君の光・・・

たとえば君の本当の価値や、君の可能性や、君の未来を何度投げ捨てたって

 

 

私だけはずっと君の光を見てる。

 

 

 

 

 

 

私たちの本当の素晴らしさについて話そう。

 

さっきも言ったけど、

 

人生において大切なのは

 

光や希望(いわゆる愛)を持ち続けることじゃない。

 

人が素晴らしいのは、

光や希望や愛を持ち続けることができることじゃない。

 

 

私たち人間が本当に素晴らしいのは、

 

 

 

絶望の淵で、闇のど真ん中で、

光や希望を見失っても、

もう一度光を見出し、

光や希望や愛を掴み直すことができることにあるんだ。

 

 

 

 

 

だからね。

 

 

もしも君が

 

 

 

君のBeing(存在)を信じられなくなった時や、

 

君が生きる希望や光を見失っても大丈夫。

 

 

 

 

つまり、

 

どれだけ光や希望を見失っても生きていていいし、

どれだけ絶望していても生きていていいし、

誰も信じられなくて生きていていいし、

生きる意味を見出せなくても生きていていいし、

どれだけ自分を傷つけたって生きていていいし、

どれだけ自分を裏切ったって生きていていいし、

 

どれだけ深い闇に落ちていったとしても、生きていていい。

 

 

 

 

なぜなら、

 

 

ことで私たちは失った希望や光を取り戻すことができるからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

それに、もう私は君の事、見つけてしまった。

 

 

 

だから、もう、君がひとりになるなんて、無理だ。

 

だからもう、ひとりになんてさせやしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたはそのままで素晴らしい」という本当の意味

全ての人はここにいたいと願って生まれてきているんだ。

 

そして、全ての人がここにいていい権利を持っている。

 

 

君はそのままで素晴らしいってどういう意味だと思う?

 

 

これまでのまとめになるけど、

 

 

君が ”ここ” に存在 (Being)している時、

君は無条件に光り輝いている

 

 

 

という意味だ。

 

 

 

見方を変えると、

”ここ”に存在できるかどうかが、

光り輝けるかどうかの分かれ目なんだ。

 

 

だから、

 

今ここに存在できない時、

「あなたが素晴らしい」ということを感じることができなくても不思議じゃななんだ。

 

 

 

 

 

それでも、こうやって私の長い文章を読んでくれているということは

「自分の素晴らしさ」について知りたいと思っていくれているんだと思う。

 

 

じゃあどうすれば

 

「ここに存在できる」のかというと、

 

 

君の体を喜ばしてあげること

 

君の五感を使って、君の心を感動させてあげること。

 

「ほっ」と体と心が安心できることを自分に選んであげること。

 

 

 

そうやって体の充実感を取り戻すこと。

 

 

それだけでいい。

 

 

例えば、

 

美味しいものを食べて、あなたの口(体)を満たしてあげること。

綺麗な景色を見て、あなたの目を感動させてあげること。

漫画や本を読んで、あなたの心を元気づけてあげること。

お日様の下で日向ぼっこして、心地よさを与えてあげること。

大好きな音楽を、あなたの耳に届けてあげること。

マッサージやエステを通して、あなたの体にぬくもりを与えてあげること。

ヨガや瞑想(呼吸法)を通して、あなたの心と体をひとつにしていくこと。

 

 

そんなシンプルなことでいいんだ。

 

 

この「感覚」は私がいくら言葉で伝えても、伝えられないものだ。

 

 

 

 あなたが「知った」事を、

あなたが誰でもないあなた自身のために、

体を実際に喜ばせてあげること、

 

つまり「識る」ことを与えてあげてほしい。

 

 

もちろん、

いきなりできるようになる必要はなくて、

ひとつひとつ、できなかったりできたりを繰り返しながらでいい。

 

自分が生まれたばかりの赤ん坊だと思って、

優しく接してあげてほしい。

 

 

 そうやって、

 

あなたが全身全霊で、

「今ここ」を感じるたびに、

 

あなたはたくさんのミラクル(まだ見たことない景色)に出会うだろう。

そして一瞬として同じミラクルが存在しないことを知るだろう。

 

 

 

 

 

最後に、「無限大」という贈り物を届けたい。

 

君に君の素晴らしさの片鱗でもいいから感じてもらいたくて、

私の言葉の限りを尽くして、君に私の想いを届けたい。 

 

 

 

君と命の素晴らしさとについて、本当のことを話そう。

 

君は

 

今も君がその肉体を持って、この地球に存在している

 

という事実について、

 

”本当のこと”を知っているだろうか。

 

 

実は、

 

君に与えられているその命には、

3つの宝物が詰まっている。

 

 

 

1つ目は、

今、やり直すチャンス

 (気づき・変容・行動)

 

 

2つ目は、

無限の可能性

 (現在・過去・未来)

 

そして最後が、

幸せになる権利

 (道)

 

 

 

 

君は生まれながらにして、その3つの宝物(無限大)を持っている。

 

そのことを私は知っていて、

だから君の無限大を信じることができる。

 

 

これら全ての宝物の真価を発揮させるための力が、

何度も出てきた「知る」という力だ。 

 

「知る」ということは人類の共通の財産なんだ。 

 

「知る」だけで大抵の苦しみは消えていく。

 

 

もしも知らなかったとしたら、

ただそれを知らされていなかっただけで、

 

 

君はちっとも悪くない。

知らないことは罪ではない。

 

もしひとつ付け加えることがあるとするならば、

 

知らせないことは、怠惰である。

そして同時に、知ろうとしないことも怠惰である

 

 

そして

あなたは今も「知ろう」とする力を十分に発揮している。

 

 

「知ろう」とするとき、

(「見よう」とするとき)

 

つまり、無意識だった状態から、

有意識へと意識が変化しているとき、

 

 

「気づく」という力が発揮される。

 

 

あなたがあなたらしさを取り戻し、

発揮させていくために与えられている力だ。

この力も、君を含めた全ての人に与えられている。

 

 

真の可能性とは、「気づき」であると言ってもいい。

 

 

そして、「気づく」と次のプロセスへと移行することができる。。

 

 

「気づき」は変容を生む。

 

あなたはあなたのまま生まれ変わることのでき変容だ。

 

 

気づきは、

意識の変容を生み、

それは行動の変容を生むんだ。

 

 

 

 

さあ、私の目を見てほしい。

 

 

いいかい?

 

 

1つ目やり直すチャンス

君には命ある限り、

何度だってやり直すチャンスと機会が与えられている。

 

 

人は間違える生き物だ。

全ての人は「間違う」という権利を持っている。

 

 

そして同時に、

「真実を知る」という権利も持っている。

 

 

これまではその権利を行使するチャンスがなかっただろう。

 

 

なぜなら、知らされることがなかったからだ。

 

 

今回、私は惜しむことなく君に真実を公開した。

 

 

すごくすごく、当たり前だけど当たり前に教えてはもらえない、

隠されてきた真実だ。

 

 

 

あなたにはこの価値のある真実 を「知る」価値がある人だ。

 

 

 

人は、「知る」ことができた時、

人は自分の間違いを自ずから直すことができる。

 (正すのではなく、直す)

 

だからもし、

間違いを認められない時、

間違いを直せない時、

 

 

それはただあなたが悪いからではなく、「知らない」だけだと思ってほしい。

 

たとえば、「知るだけで」自分を責める必要など全くないとわかるだろう。

 

 

知ることが、やり直すチャンス(変容)を生むのだ。

 

 

本来、「知る」ということは、喜びに満ちている。

 

 

 

2つ目、無限の可能性について。

 

「知る」ということに終わりはない。

「気づき」にも終わりはない。

「変容」にも終わりがない。

 

 

それが無限だということだ。

 

知れば知るほど、あなたに可能性があるということがわかるだろう。

そして、「知らない」という余地がまた、可能性を生む。

 

可能性とはチャンスであり未来だ。

 

可能性とは、

 

これまでの自分が見たことのない、

 

今も想像できない景色(ミラクル)のことだ。

 

 

 あなたにはその全てが与えられている。

 

 

3つ目、幸せになる権利 

君は「幸せになるため生まれてきた」

 

幸せとは何か?

 

「ここに存在できる」ことだ。

 

私は、「ここにいることができる」ということ以上の幸せを知らない。

 

 

そう。

 

君は今ここに存在するために生まれてきたんだよ。

幸せとはゴールではない。道だ。

 

私たちは、今ここではない「どこか」「何か」「誰か」「いつか」

に幸せを探すとき、

その道から外れることがある。 

 

 

 

今ここではない「どこか」「何か」「誰か」「いつか」とは

「本来の自分ではないもの」だ。

「本来の自分ではないもの」=(幸せの青い鳥)を探すとき、

苦しみが生まれる。

 

 

幸せではない、と感じるならば、

他人の「道」を歩いているときだ。

本来の自分以外になろうとしているときだ。

 

そんなときは、

自分の「道」に戻ってきたらいい。

そして、そこにいつでも、「私」はいる。

 

そしていつでも私に会いにきたらいい。

あなたの中に私はいる。

 

その「道」に幸せがあるのだ。

 

 

 

 

繰り返そう。

 

君は、

その肉体とともに、

今ここを感じるために生まれてきたんだよ。

 

 

もしも幸せになりたいのなら、幸せを選びたいのなら、

 

「 今ここを感じるということ 」

 

「 今ここにある喜びを感じること 」

 

が必要なんだ。

 

 

 

それは、

 

あなたがあなたの体に触れ、体温を感じること。

あなたがあなたの呼吸を感じること。

あなたが体の充実感を感じること。

 

 

そこから始まるんだ。 

 

 

 

 

 

 

さあ、大きく息を吸って・・・・・?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい君の、誕生だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 愛しているよ

 

 

 

 

 fin